サーフィンって少々しきいが高くて、実はやりたいと思っている潜在的ファンが多い気がする。
アンケートをとったわけでも、データをとったわけでもないけれど、なんとなく。
このまえテレビで、「サーフィンをやるには自意識を超えないとできない」
みたいなことを芥川賞作家の本谷有希子さんが言っていて、「やっぱりそうだよなぁ〜」と確信すると同時に、小説家は、わかりやすい言葉で表現できて、すごいなぁと思った。
サーフィンってカッコイイというイメージがあるから、そのカッコよさにつりあう自分でなければいけないと思うからだろうな。
誰だって、「カッコイイ」とは思われたいけれど、「カッコつけ」とは思われたくないものだ。
だから、カッコつけと思われないように頑張ったり、そもそもサーフィンをはじめるのをためらったりする。
でも、そんな人にはっきりと伝えたい。
サーフィンをしているすがたがカッコイイ人は、そうとう練習している。
僕もじっさいにサーフィンをやってみて気づいたのだけれど、正直初めはダサい。
パドリングで前に進まないわ、パーリングするわ(波にのまれる)、カッコイイところなんてひとつもない。
調子に乗って、彼女なんかをつれて来た日には、ダサさをアピールするようなものなのでやめたほうがいい。
そもそも、ワックスのぬりかたからして下手だから、カッコイイにはほど遠い。
そうやって、カッコ悪いと分かったら、がむしゃらでけんきょな気持ちになる。
人生も同じようなものかもしれないな。
プライドがじゃまして、カッコつけていたら進歩が止まる。
ダサくてもいいから、ひたむきにやることが少しづつかもしれないけれど成長していく。
カッコつけと思われても、ダサいと思われても、いいじゃない、楽しければ。
そもそも、サーファーは海のうねりを見ているのであって、初心者のコケるシーンなど見ていませんから。
じゃんじゃんパーリング、オッケーということで。
波をつかむとか、人生をサーフィンに例えることが多いけれど、それだけ学ぶことが多い。
自然を大切にするとか、地球を感じてちっぽけな自分を見つめ直したり。
仕事のなやみや学校のことなど忘れられるし、よし、また明日から頑張ろうという気持ちにもなる。
自意識をのりこえたらすばらしいライフスタイルが待っている。
サーフィンは、カッコイイとダサいの間に「ダサくない」というゾーンもある。
あるていど練習してライディングできるようになったら、カッコよくはないけれど、ダサくはない。
カッコはつけなくていいけれど、はやくダサいからは抜け出したいものだね。
何本もがむしゃらにチャレンジして、とりあえずはダサくないサーファーを目指そう。